ミキシングワールド列伝①H・テペーニン博士。再生構築機界の造物主

ミキシングワールドの成立において、H・テペーニン博士の功績は極めて大きなものである。

テペーニン博士がケルバーを発明し、箱庭計画を成功させなければ、人類は西暦2300年には完全に絶滅していたであろう。

テペーニン博士の一生はほとんどのケルバーが初等教育で習う内容なのでもちろん知っているとは思うが、復習の意味を込めて新ためて彼の波乱に満ちた人生を振り返りたい。

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目次

誕生〜幼少期

H(ハヤシノフ)・テペーニン博士は2116年、旧ロシア連邦のウリヤノフスク近郊で生まれる。
父はロシア系の分子生物学者、母は日本人女性であった。
父と母の間には5人の子供が生まれているが、健常児であったのは末っ子のテペーニンのみで、他の兄弟は全て虚弱体質により幼少時に死亡している

2221年、テペーニンが5歳のときに両親は離婚。これは唯一の健常児として生まれたテペーニンを、父が自分の息子かどうか疑ったためであった。


離婚後は母の実家である、日本の埼玉県で育てられた。


母は多情な女性で、テペーニンに愛情を示すことは無かった。テペーニンの母方の実家は代々続く裕福な家系であり、実家に預けた後はすぐに恋人を作り、家を出ていった。

当時、健常児を生んだ女性には国家から高い社会的地位と生活の特権が与えられていたからである。


テペーニンは非常に知能が高い少年だったが、臆病で、愛情に飢えており、他人とうまくコミュニケーションを取ることができなかった

当時としてはすでに珍しかった健常児だったため最高レベルの教育を受けることができたが、運動神経が悪く、要領も悪く、また容姿も醜かったため、常に虐められ、学校では孤独であった。

プラモデルとの出会い


母の実家の倉庫の一つに、プラモデルマニアだった彼の曽祖父が保管していたプラモデルの大量のコレクションが残されていた。

西暦2100年になる頃にはプラモデルは一部のマニアのみが好む非常に懐古的な趣味として文化的に消失寸前であり、テペーニンが気が許せるのはプラモデルマニアの老人のみであった。

当時のテペーニンは倉庫の中で小さな人々を配置するディオラマを作ることが彼の唯一の楽しみだったと言われている。

火星への夢

2125年 、テペーニン9歳のとき。

第一次火星開拓計画が成功し、世間は火星ブームに湧いていた。

彼は火星に行けばこの苦しい地球から離れ、新しい人生が開けるかもしれない、と火星開拓団への参加を目標に、勉学に励むことになる。

火星開拓団への参加条件には過酷な環境にも耐えうる体力と運動能力が必要であったため、肉体強化の運動トレーニングを始める。

幸い、頑強な体をしていたため、メキメキと体力をつけることになる。

だが、相変わらずプラモデル制作は続け、また人と話すのは苦手であった

結婚と息子の誕生

2140年、テペーニンは結婚した。

テペーニンは念願の火星開拓団に入り、肉体的にも健常であり、知力・体力のスペックに関してはエリートであった。

火星移民船の乗組員に選ばれるための「既婚者で子供がいなければならない」という条件を満たすため、周りに進められるままに一般の女性を妻に選んだ。

テペーニンは生まれて初めて、人の心にまともに触れる経験をしたのであった。

2142年。息子ゼリック誕生。

奇跡的にぜリックも健常児で誕生したが、テペーニンの妻はゼリックの誕生と引き換えに体調を崩し、入退院を繰り返すようになる。

火星行きの断念

2144年、ついに第三次火星開拓団員として選出される。

だが、体調を崩しがちな病床の妻の「息子と一緒に地球に残ってほしい」という要望により、開拓団参加を苦渋の決断で辞退する。

だが、妻は開拓団出発後、あっさりと病気で死んでしまう。

失意の中、テペーニンにさらなる凶報が舞い込む。

第三次火星開拓船の乗組員が全て死亡する事故により、計画が大きく頓挫してしまったのだ。

仲間の死、そして妻の病死により、テペーニンは人間の肉体的な脆弱さを克服することに興味を持つ。

これ移行、彼は人間をより強力なボディである義体へと移す技術の開発に注力していく。

息子ゼリックとの確執

2150年代、テペーニンは息子のゼリックと友好な関係を結ぼうとしたが、生来の臆病な性格とコミュニケーション不全からうまく付き合うことができなかった。

ゼリックの誕生日にはかならずプラモデルを送ったが、当時すでに100年以上昔の過去の遺物にゼリックは見向きもせず、仕事以外では部屋に閉じこもってプラモデル作りばかりしている父を見下していた。

ゼリックはテペーニンとは違い、明るく人気者で、リーダー的な資質が傑出していた。

ゼリックは火星に行かなかった父を愚かだと思っており、自らも火星開拓団を目指す。

テペーニンはゼリックの進路に猛烈に反対し、火星行きを断念するよう促した。

ゼリックは父に反抗し、生活は荒れた。

孫の誕生と人生最大の幸福期

2164年、息子ゼリックは大学卒業と同時に、恋人と結婚。

妻となった女性は心優しい人物で、テペーニンとゼリックの間を取り持ち、両者の関係改善に勤しんだ。

ゼリックは火星開拓団への夢を諦めきれず、宇宙開発系の企業に就職する。

ゼリック自身は自分の実力で入ったと思っていたが、実はテペーニンが裏でコネを使っていたのは有名な話だ。

2165年 ゼリックと妻の間に息子ゼロアが生まれる。孫の存在はテペーニンとゼリックの間をつなぐ架け橋となった。

 テペーニンは孫ゼロアと一緒にプラモデルを作る時間が最高に幸せであった。人生最良の時であったと記録されている。

家族の死

2175年、ゼリックの妻と孫のゼロアが事故により死亡する。
ラグランジュポイントに建造中であった宇宙開拓プラントの墜落に巻き込まれたためだった。
妻は肉体の損傷が激しすぎて即死であったが、孫のゼロアは脳だけはかろうじて無事であった。
テペーニンは当時研究していた最先端の義体に、孫の脳と意識情報を移植しようと試みるも失敗。

だが、これがきっかけとなり脳から完全に人格をスキャンし、抽出する技術をテペーニンは確立する。

ゼロアの死のきっかけとなった宇宙開発プラントはゼリックが働いている企業が建造していたものだった。
ゼリックは罪悪感に苛まれつつも、自分の息子であり、孫を助けられなかったテペーニンを罵倒し、二人の関係はまた絶たれた。


テペーニンはまた研究と共にプラモデルの世界に引きこもる。

ケルバーの発明

2177年。テペーニンは孫の人格データは保持しており、人格データを入れるボディの開発を続けていた。

人格データはそのままでは自己を人間とは認識しない。

自己を人間と認識するためには、物理的なボディが必要だと研究の結果判明してきた。


それまで、テペーニン博士は人体と同サイズの人形義体を作ってきたが、人形義体に人格データをインストールしても、人格はその大きさにに耐えられず、拡散、消滅してしまう。

そこで、たまたま、いつものプラモデルで作りなれた1/35サイズの小型義体を制作し、人格データをインストールしたところ、人格データは自身を人間と認識し、孫のゼロアとまったく同じ振る舞いを見せた。

ゼリック博士はこの小型義体をケルバーと命名。

テペーニン博士は世界各地で多発する人体虚弱化のさらなる進行、出生率の急激な低下、完全健常児誕生率が3%を切るなどの状況から、人類が種としての存続がもはや不可能になりつつあることを予測する。

このままいけば、西暦2300年には完全に地球からその姿を消してしまう。

これはもはや避けられない。テペーニン博士は人類の後継者として、ケルバーの研究を進めていく。

そして…… 個人的な趣味として、ケルバーの根幹属性にプラモデルを愛好する嗜好性をこっそりとプログラムした。

これは人類の絶滅以上に、自分の愛好する趣味が絶滅することが耐え難かったからと伝えられている。

ケルバーと箱庭計画の発表

2181年、テペーニン博士はケルバーを発表。

世界各国に人体の虚弱化と人口増加問題を一挙に解決するプロジェクトとして、箱庭計画を持ちかける。

これは全人類の意識を小型人造義体であるケルバーに移し、1/35に縮小された箱庭都市へと移住するというもの。

箱庭都市の維持コストは通常の都市の1/1000以下であり、食いつくされつつある地球資源の減少を抑え、その間にすでにテラフォーミングが完了している火星への移住計画を進めるというものであった。

人格を抽出した本体はその期間中、コールドスリープ装置で厳重に保管され、人類が再び生存が可能となった暁にはケルバーで生活した記憶を注入し、再生する。


テペーニンはケルバーとして生まれ変わった孫のゼロアを息子のゼリックに引き合わせる。

妻と息子の死後、失意の中で仕事を続けていたゼリックは息子の復活に喜び、テペーニンに計画の協力を快諾する。そのリーダーシップを発揮し、箱庭計画へと参道する企業をどんどん増やして行く

2184年にはテペーニン博士の計画に賛同した少数の企業による、最初の箱庭都市グロッフが完成。

当初は懐疑的であった人々だったが、ケルバーに移入することで虚弱者でも健状態同様の活動が可能で、体の不調に悩まされることが無いこと。

そして、広い空間と健康でないと体験できなかった、様々な刺激に満ちた娯楽施設の充実など快適な生活性に惹かれ次々とケルバー移入者が増えていく。

箱庭計画の成功とテペーニンの最後

先行した箱庭都市の成功により、正式に人類存続計画として採用され、世界中で箱庭都市の建造が始まる。

だが、2199年。

テペーニン博士は息子ゼリックと共に、箱庭計画終了後に全人類を乗せて火星へと向けて旅立つ予定の超巨大移民船の機関部の制作を、ラグランジュポイントで指導していた。

だが、箱庭計画反対派のテロにより、機関部の建設プラントは大爆発を起こす。

テペーニンは最後に残った一人用の緊急脱出ポッドに重症で動けないゼリックを乗せ、自身は宇宙の藻屑と消えた。

享年83歳であった。

テペーニン博士の偉業

2100年の箱庭計画完全始動を見ることなく、テペーニン博士はその生涯を終えた。

ミキシングワールドの根幹を作った偉人として、また、生涯において家族を大切にしたその行いから、リザレクト、エグゼクト関わらず現在でも大きな尊敬を集めている。

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