ゼヴァント “スピリット・オブ・グロッフ号” バトルストーリー第25話(AD2373年)『紫空の先へ』

「ギチ、ギチ、ギチッ…」
終わりなく響く咀嚼音と、無数の足が蠢く音が、旧人類の遺跡に満ちていた。
「ダメだ、キリがねえ!」
開拓団のケルバーダインがギチを蹴散らしている。
だが、ギチの勢いは止まらない。
ここはギチが無限に湧き出し、すべてを食い尽くす呪われた場所。
エグゼクト第四開拓団が閉じ込められた、絶望の檻だった。
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ミキシングワールド随一の大河、レジン川。
エグゼクト第四開拓団は箱庭都市グロッフからレジン川に沿って南東へと進んでいた。
途中、さらに東に広がる大森林へと向かったオルティンディ率いる第8開拓団と別れたあと、しばらくしてその地は彼らの前に現れた。
レジン川の中州に、巨大な跳ね上げ橋を渡った先にそびえたつ、旧人類の遺跡。
発見した当初、エグゼクト第四開拓団にとって、ついにたどり着いた理想郷に見えた。
川が天然の城壁となっているのか、不思議と凶暴な野生動物の姿も見えない。
保存状態の良い建造物群は数千万の民が暮らせる新たな都市の礎となる。
まさに約束の地のはずだった。
ただ、遺跡内に蠢くギチの数が妙に多かった。
旧人類の遺跡に奴らが巣食うのは常だ。
数日もあれば駆除できると、誰もが信じていた。
あの日、駆除部隊が遺跡の奥深くで、まだ生きていた橋の昇降装置を誤って作動させてしまうまでは。
轟音と共に持ち上がった橋は機械を破損させ、二度と降りなかった
開拓団は島に閉じ込められてしまったのだ。
ギチは駆除しても駆除しても、駆除しても止まらない。
時間と共に、押し返されていく。
「これは‥‥‥『ポイポイ』だ‥‥‥」
誰ともなく、必死に胸中に押し留めていた、最悪のワードを口にしたとたん、その恐怖は第四開拓団を打ち震わせた。
ギチは群れるが、ごく稀に、何千、何万ものギチが大量に発生し、まるで全てを流し去る激流のように、黒い川となって暴れ回ることがある。
その前にあるものは、あらゆるものが食い尽くされる。
ミキシングワールドでも未曾有の災害の一つ「ポイポイ」である。
この島は、ポイポイの発生源の一つだったのだ。
野生動物がいなかったのは、全てが食い尽くされた後だったのだ。
第四開拓団の頭脳、サンディブラウン博士の計算によると、ギチが遺跡内から溢れ出すまで長くて5日、早ければ2日。
もはや、一刻の猶予も無い。
ICEケースを円卓代わりに集った、開拓団の幹部たちの顔はみな、絶望の色で暗く染まっている。
ポイポイ現象の只中、完全に孤立したこの状況は、確かに最悪と言えるだろう。
だが、ただ一人だけ、汗一滴すらかかず、ゆったりと、静かに微笑んでいるケルバーがいた。
「これは…なかなかの試練だね。だが、冒険とはこういうものだろう?」
落ち着いた声に、張り詰めていた空気からわずかに力が抜ける。

声の主は異形だった。
大きく裂けた口、ウロコに覆われた肌、そして体のあちこちから突き出たヒレ。
寸詰まりの体型をした、醜い半魚人のような姿。
だが、仲間たちの目に宿るのは侮蔑ではなく、絶対的な信頼の光だ。
彼らは知っている。
決して諦めず、常に笑顔を絶やさず、弱い者には手を差し伸べ、最も苦難な道を自ら切り開くケルバーであることを。
第四開拓団のリーダー、ティンシュアヤ。
ケルバーの価値は外見では決まらない。
真の力とは、この男の胸に燃える不屈の魂なのだと。
彼が英雄として皆に慕われるのは、まさにそのことを体現しているからに他ならない。
「ティンシュアヤ…おしまいだ。私の計算では…」
開拓団のナンバー2、ティンシュアヤの親友であり、天才の名をほしいままにする科学者、サンディブラウン博士が、そのタコそのものである頭を抱えながら、忙しなく「絶望的な理由」を列挙し続けている。
「そのセリフは聞き飽きたよ博士。レジン川を初めて渡ったときも、グロッフ湖の湖底に閉じ込めらときも、同じことを言っていた」
ティンシュアヤはサンディブラウン博士の言葉を遮り、仲間たちを見渡した。
皆、彼の言葉を待っている。
持ち上げられた橋は絶望の象徴だが、ティンシュアヤには次なる挑戦への扉に見えた。
「私が行こう」
その声は、ずんぐりとした体躯から発せられたとは思えぬほど、力強く、そして澄んでいた。
「スピリット・オブ・グロッフで川を渡り、対岸にある手動解除レバーを起動させる。最高の冒険になりそうだ。そうは思わないかい?」
「本気か、ティンシュアヤ!」
サンディブラウン博士が詰め寄る。
「お前の言う『冒険』とは死ぬことと同義か!昨夜の雨で川は激流だ。計算上、スピリット・オブ・グロッフでも川を渡れる確率は7パーセントだ!」
「君の言うことはもっともだ、友よ。だがね、レジン川のときは5%だった。グロッフ湖のときは2%だった。だが、結果は全て100%だ」
ティンシュアヤは博士の肩に手を置いた。
「ジンクスだよ。君が絶望して、パーセント、パーセントとタコ頭を抱えて転がっている‥‥‥ これは、作戦が100%成功する証じゃないか?」
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作戦の決行は夜明け前となった。
ギチは夜行性である。
対岸へと渡り、昇降装置を動かして橋をかけ、ギチの活動が鈍っている日中に、一気に脱出する。
まだ空が白み始める前の薄闇の中、ティンシュアヤは仲間たちに安心させるように手を振ったあと、巨大な魚とも、旧人類のロケットとも見える、異形のケルバーダインのゼノアイに触れた。
彼の体が指先から解けるように、さらさらと光の粒子へと変わり、ケルバーダインの中へと吸い込まれていき‥‥その機体と魂が一体となる。

「さて、行こうか、相棒。スピリット・オブ・グロッフ!」
バシュッ!という音と共に、スピリット・オブ・グロッフ……正式名称「ゼヴァント」は激流へと身を投じた。
「スピリット・オブ・グロッフ」とはティンシュアヤが名付けた。
製作者であるサンディブラウン博士は「ゼヴァント」と命名したが、ティンシュアヤは気に食わなかった。
バテスだとか、グルヌだとか、ケルバーダインの名前は風情が無さ過ぎる。
故郷グロッフの名を冠したケルバーダインが、未踏の地を進む……たまらなく、胸が踊った。

「ほう、レジン川も本気で我々を試しているようだね」
一瞬の懐かしき記憶を、水が押し流した。
凄まじい激流の中、翻弄される木の葉のように、スピリット・オブ・グロッフは振り回される
流されないように、全力で体勢を整える。
この速さで岩にでも叩きつけられたら、ケルバーダインなど一瞬で元のゴミに戻ってしまうだろう。
水面よりも、川底のほうが水流の動きがゆるやかになっているようだ。
水圧でボディを軋ませながら、潜航してゆく。
対岸が見えてきた。
あと少し。
そう思った瞬間、川底から巨大な金色の影が躍り出た。

「ギョーキンか……!」
全長100cmはあろうかという、神々しくも恐ろしいその姿。
昔は旧人類のペットだったとは到底信じられない威容だ。
縄張りを荒らされたと怒り狂っているのだろう。
その巨体からは想像もつかない速度で突っ込んできて、スピリット・オブ・グロッフの側面に強烈な体当たりを喰らわせてきた。
バジャン!という衝撃音と共に、SNTペグの装甲が弾け飛ぶ。視界が激しく回転し、平衡感覚が狂う。
距離を取るが、猛烈な勢いで追撃してくる。
こちらを逃すつもりは無いようだ。
敵か、あるいは餌かと思われているのだろう。
だが、ここでやられるわけにはいかない。
「許せよ、サカナ!」
ティンシュアヤは、両腕の内側、左右の脇から伸びる推進器に意識を集中させた。
ボディが回転を始める。
ドリルのように、回転速度がどんどん上がっていく。
高速回転するスピリット・オブ・グロッフは一条の矢となり、ギョーキンへと突き進む。
狙うはヤツの胴体、ただ一点。
ぐぼっ!!!
鈍い破砕音。
スピリット・オブ・グロッフはギョーキンの体を真正面から激突、その体を食い破り、貫通していた。
金色の鱗が、血と共に濁流の中へと散っていく‥‥‥
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スピリット・オブ・グロッフがレジン川の対岸へと上陸した。
あちこちのパーツが外れ、RICも禿げた満身創痍の姿だ。
レジン川を渡っている間に夜が明け始め、薄赤く東の空が白んでいる。
ティンシュアヤは橋のすぐ隣にある、昇降装置を見上げた。
このレバーを上げれば、橋は降りる。
ケルバーの力で動かすのは不可能だが、ワイヤーをくくりつけて、スピリット・オブ・グロッフで引っ張れば問題ない。
エジェクターからアウトしようとした瞬間、それは来た。
ドゴッ!!!
突然の大きな衝撃に跳ね飛ばされる。
スピリット・オブ・グロッフは、ゴロゴロゴロ、と地面を転がり、昇降装置の壁にぶつかって動きを止めた。

目の前に、巨大な毛の塊がある。
その中に、二つの目が爛々と光っていた。
ガットに次ぐ、ミキシングワールド2番目の巨大哺乳類、ロデラ最大種であるドーブロデラだ
水際に住む彼らは全長40cmにも成長することがあり、貪欲で知能が高く、極めて危険な存在である。
ドーブロデラはスピリット・オブ・グロッフにまとわりついた、ギョーキンの肉片から放たれる血の匂いに呼び寄せられたのだ。
「さて、これは困ったことになったな」
ギョーキンの怨念と呪いを感じながら、ティンシュアヤは思索する。
陸上でドーブロデラと戦うのは不可能だ。
水中では無類の強さを誇るスピリット・オブ・グロッフも、陸上では蛆虫が這いずる程度の動きしかできない。
このままでは、数分後には間にゴミに還されてしまう。
だが、レバーを上げなければ、開拓団が全滅してしまう。
レバーのさらに上にある、空を見上げる。
死の電波に満ち、紫色に染まった、見慣れたミキシングワールドの空。
明け方の赤みがかった空の彼方に、明けの明星が輝いている。
ティンシュアヤの冒険への憧れは、空が始まりだった。
旧人類の時代、空は青かったという。
彼らは空を飛ぶ機械で自由に世界中を巡り、さらにその先へ。
宇宙へ、月へ、火星へと、その手を伸ばしたという。
紫色の死の電波に閉じ込められた、この世界を抜け出して、さらに先へ行けたら、どれだけ素晴らしいだろう。
スピリット・オブ・グロッフの体が、輝く星のように、金色の光を帯び、明滅を始めた。
長時間の行動により、ミキシンクロレートの限界が近づきつつあるのだ。
「ピギィイイイイ!」
ティンシュアヤは、スピリット・オブ・グロッフの両腕を器用に曲げて、近づいてきたドーブロデラにしがみつく。
そして、再び全身を集中させてエジェクターに力を込め、フルスロットルでエネルギーを噴出させた。
空気が爆発するような、轟音が響き渡る。
もがくロデラを強く抱きしめたまま、スピリット・オブ・グロッフが飛ぶ。
レバー目掛け、下から体当たりして、無理やりレバーを跳ね上げる。
ガクン!とした衝撃と共に、轟音を上げて橋が降りるのが眼下に見える。

ティンシュアヤは速度を緩めることなく、上へ、上へと飛んだ。
これが最後の冒険だ。
ならば、死の電波の先に、何があるのか、一目だけでも見てみたいではないか?
紫色に染まった死の電波帯に突入する。
「キュィィィィィ………」
ドーブロデラが哀れを誘う鳴き声を上げ、手足をバタつかせてもがいたのち、目から光が消える。
死の電波は、どんな生物でも平等に命を奪う。
ティンシュアヤは、体中が、まるで石が砂に変化していくように、微粒子レベルでバラバラになっていくのを感じていた。
気を抜けば、一瞬で自分の存在が分解され、消失する、絶対的な暴力。
体の端からどんどん解けていく、ちょうどケルバーダインに騎乗するときに近い感覚を感じる。
意識が急速に薄れていく中、ティンシュアヤは不思議な声を聞いた。
「集めて‥‥からだを‥‥‥集めて……」
体を集める?一体、何を集めるんだ?
その疑問が、ティンシュアヤ最後の思考だった
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エグゼクト第四開拓団は全員が島から脱出した。
サンディブラウン博士の綿密な計画が、スムーズな離脱を可能としたのだ。
人員を運搬する、最後のケルバーダインが通過してから、サンディブラウン博士は橋を上げる
これで、ポイポイはこの島に閉じ込められた。
ギチが追い縋ってくることもないだろう。

ティンシュアヤは、望んでいた死の電波の向こうに行ってしまった。
炎の尾をたなびかせながら天高く登るゼヴァントの姿は、対岸からもはっきりと見えた。
ゼヴァントの本体はどこにも見つからなかった。
唯一、高空から落下してバラバラになったドーブロデラの死体に、装甲に使われていたSNTペグが一つ突き刺さっているのみだった。
「100%じゃなかったのかよ‥‥‥」
ジンクスは破れた。
だが、彼の意思は継がねばならない。
いつか、ティンシュアヤが追い求めた、紫空の先に必ず到達する。
サンディブラウン博士は、スピリット・オブ・グロッフの消えた空をいつまでも眺めていた。
ゼヴァント“スピリット・オブ・グロッフ号”機体解説

ゼヴァントはエグゼクト10氏族の一つ「ティンシュアヤ族」が主に使用するケルバーダインである。
最大の特徴は、水中活動に特化して設計されているということだ。

ティンシュアヤ族は半魚人やタコ頭など、水をルーツにした怪物の姿が特徴である。
この外見は箱庭時代のスキンに由来しており、はるか星空の彼方より到来したとされる、異界の神々について記された物語を愛好するケルバーたちが、同好の士の集まりに出席するときに使われていた正装だという。
彼らはミキシングワールドでも最も危険な場所である、水辺を生活の本拠地としている

陸上の巨大生物はほとんどが絶滅したが、水中生物は多くが生き残り、繁栄を謳歌している。
全長100cmを超える金色に輝く巨大魚「ギョーキン」
ケルバーダインほどもある巨大甲殻類「ガーニ」
甲羅を岩そっくりに擬態させ、近づくものを一瞬で飲み込む巨大爬虫類「メガラ」
巨大生物が我が物顔で跳梁する水中は、大きさがわずか5cmしかないケルバーにとって、極めて危険で、恐ろしい場所なのである。

ゼヴァントは水中生物への対抗策として、速度とパワーを極限まで上げる方向性で開発された。
会敵した場合、まず全速力で逃げる。
交戦が避けられない場合は機体を螺旋状に回転させ、魚雷のように突き進み、体当たりで攻撃する。
その威力は巨大魚「ギョーキン」を一撃で沈めるほどの威力がある。

ゼヴァントの特徴でもある、超大型エジェクター。
SNTペグをぐるりと円形に密集させ、ノズルから噴出したエネルギーを集中させる。
全ケルバーダイン中、最大の推進力を誇るという。

ゼヴァントの中でも最も有名なのが、ティンシュアヤが騎乗した「スピリット・オブ・グロッフ号」だ。
青と白を基調とした「主役機カラー」のRICが施されている。
「主役機カラー」は子供が好む配色で、成熟したケルバーからは幼稚であると敬遠する者も多いが、ティンシュアヤは「新たな道を切り開くにふさわしいRICだ!」と好んで使用した。
ゼヴァントは当初、開発者であるサンディブラウン博士により、水中生物の視認性を減少させる潜水艦迷彩のRICが施されていたが、ティンシュアヤが勝手に塗り直し、大喧嘩になったと伝わっている。

水中では絶大な力を誇るゼヴァントだが、陸上ではほとんど動けず、這いずって前進するぐらいしかできない。
よって、陸地では他のケルバーダインのサポートが必須となっている。
開祖ティンシュアヤの死後、第四開拓団は旧人類の水上遊戯施設の遺跡を発見。
この地は「水上都市ヴィッドロード」命名され、ティンシュアヤ族の本拠地として発展してく。
ティンシュアヤ族は水中型、水陸両用型ケルバーダインを用いて水運を行い、ケルバーの生活にとって欠かせない存在になっていったのだ。

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