『出産祈願』(MC25年 箱庭都市スフィアエッグ)
「疲れた! もう嫌!この坂! 」
身重の妻が悪態を付きながら喚き散らしている。
H・テペーニンリアルスケールモデル博物館は箱庭都市スフィアエッグに2つ高く突き出た、東側の丘の上にある。
博物館の入り口まで移動用ケルバーダインで行ことを拒否したのは彼女だ。
大通りの土産物を物色したかったらしい。帰り道でいいのに。
「なんでケルバーダインに乗らなかったのよ!」
いつものことだ。これは修行なのだ。
俺だって妊娠中なんだから、もう息も絶え絶えだ。
息も絶え絶えで、ようやくたどり着いた「H・テペーニンリアルスケールモデル博物館」の磨き抜かれた床に、自分の姿が映り込む。
子作りにいいのよ! と妻に無理やりインストールされた精力がアップするという噂のウォルドムスキンで緑色に染まった肌に、飛び出したお腹。安物のブラウン式ゴーグル。
これは一体、誰だろう?
いくらケルバーがスキンでいくらでも外見を変えられるとはいえ、あまりにもひどい。
「なにしてるの!行くわよ!」
いつの間に入ったんだろう?
博物館の廊下の奥から、彼女が奥から手を振って俺を呼んでいる……
H・テペーニンリアルスケールモデル博物館は広い。
スケールやジャンルに分かれて展示されている。
1/144、1/72……と奥に進むにつれてビッグスケールになっていくようだ。
「ほら、リアルスケールモデルの自走砲だよ」
「1/72じゃない!小さくて全然迫力が無いわ!」
1/72でいいじゃないか。
俺が普段作っている1/700の10倍もデカい。
「これはすごいんじゃないか?」
「駄目よ!駄目ったら駄目!私は1/35がいいの!」
1/48でも駄目なんだろうか?
地味ながら細かい部分まで作り込まれていると思うんだが…… 窓ガラスやチューブは元キットからディテールアップされているはずだ。説明文にもちゃんと書いてある。
もっとも、彼女が説明書を読んでいるところを見たことは一度も無いが……
「これよ!これ!これが見たかったの!」
博物館の一番奥。
地図を見ようとしない彼女をなんとか誘導し、お目当ての1/35展示コーナーにようやくたどりついた。
旧時代の巨大な戦車を目にした彼女が恍惚の表情で、ケルバーダインほどのサイズがある巨大な戦車を見上げる。
「すごいわ……」
これは……!
思わず息を飲み込む。
ミキシングワールド誕生以前、今から350年以上前に旧人類が戦争で使ったティーガーⅠ重戦車だ!
最高級のリアルスケールモデルだ。
見るだけで、ケルバーとしての本能がビリビリと電撃のように体を駆け抜ける。
「見て! ケルバーが乗ってるわ! マナーがなってない!引きずり下ろしてくる!」
「違うよ。あれはケルバーじゃない。リアルスケールフィギアだ」
「あれが!」
「ほら、ゴーグルをつけてないだろう?」
「ほんとだ……」
1/35リアルスケールモデルを見てから、妻はいつになく上機嫌だ。
来て良かった。
苦しい家計から捻出した旅費15万MODELは無駄ではなかった。心からそう思う。
「待ち給え!君たち、出産祈願のご夫婦だね?」
博物館からの帰り道。
ふと入った裏通りで呼び止められる。
ガットイヤーにガットテールを装着した……ガットスレイヤー?
店には黄ばんだデカールで「ガットスレイヤーズ」と看板がかかっている。
本物のガットスレイヤーがこんなところにいる訳がない。
観光客向けの偽物だろう。
だが、妻は興味津津だ。これはまずい。
「さあご覧あれ! 正真証明、旧人類時代の1/35リアルスケールフィギア『ゴールデンガット』だ!これを家に祀れば安産確実! ガットに負けない強い子が生まれること間違いない!ガットスレイヤーの私が保証しよう!」
「おい、あれは偽……」
「本物よ。私のゴーグルに狂いは無いわ。買うわ!いくらなの!」
「さすが奥さん、お目が高い!いまなら特別価格の30万MODELでお譲りしよう!」
30万MODEL?
「買うわ!」
「おい、そんな金うちに……」
「未来への投資よ!」
この前買ったケルバーダインのローンがまだ5年分も残っているのに。
お腹の子供に心の中で念じる。
頼む!うちの家計を助けてくれる強い子に育ってくれ……!
H・テペーニンリアルスケールモデル博物館とは
「H・テペーニンリアルスケールモデル博物館」はプラモデルの完成品が数多く展示されている博物館である。
ケルバーたちが熱狂的に制作しているプラモデルの中でも、特に旧人類時代に製造されたキットは「リアルスケールモデル」と呼ばれ、残存数が少ないことから珍重されており、極めて高額で取引されている。
素晴らしい出来栄えのプラモデルを見るとケルバーの生体機能が活性化されることはよく知られている。
中でもケルバーの縮尺率と同じ1/35のリアルスケールモデルの活性効果は飛び抜けており、その効果により妊娠中の胎児に好影響を与えるとの噂が広まっていらい、出産祈願に訪れる者が後を耐えない。
なお、「H・テペーニン」と冠されているが、テペーニン本人が制作したプラモデルは現存しておらず、基本的に旧人類時代の特殊遺跡「モー・ケイテン」からの発掘品を専門の職人「プロモデラー」が組み立てたものである。
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